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スコアボードは電球を使用していた初代([[1988年]]まで)のレイアウトは川崎球場に似たタイプで、左上がスコア、右上が映像表示部(橙単色)、左右下をメンバー表示にあて、中心に大時計・カウント・審判名を表示した。最上部は左に「YOKOHAMA」、右に「STADIUM」の表記が入る。なお得点は1回-延長10回までのスコアを表示し、11回からは改めて表示をクリアして1回のところから表示し直す方式だった。
 
スコアボードは電球を使用していた初代([[1988年]]まで)のレイアウトは川崎球場に似たタイプで、左上がスコア、右上が映像表示部(橙単色)、左右下をメンバー表示にあて、中心に大時計・カウント・審判名を表示した。最上部は左に「YOKOHAMA」、右に「STADIUM」の表記が入る。なお得点は1回-延長10回までのスコアを表示し、11回からは改めて表示をクリアして1回のところから表示し直す方式だった。

2018年7月28日 (土) 23:00時点における最新版

横浜スタジアム
横浜スタジアム
横浜スタジアム

横浜スタジアム(よこはまスタジアム)は、日本神奈川県横浜市中区横浜公園内にある野球場日本プロ野球横浜DeNAベイスターズの本拠地(専用球場)として使用されている。通称:「ハマスタ」。本項目では運営会社である株式会社横浜スタジアムについても述べる。

概要[編集]

1978年3月、老朽化した横浜公園平和野球場(よこはまこうえん・へいわやきゅうじょう、通称「平和球場」)の跡地に竣工。同年より、川崎球場から移転した横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の本拠地となったほか、神奈川大学野球連盟のリーグ戦や、全国高校野球選手権の神奈川大会、横浜市長杯関東地区大学野球選手権大会(全国明治神宮野球大会出場決定戦)等、アマチュア野球の会場としても用いられる他に、アメリカンフットボールの会場としてもしばしば利用されている。高校野球夏の大会では、開会式のほか1回戦から使用され、準々決勝以降は保土ヶ谷球場にかわりメインスタジアムとなる。

施設は横浜市が所有し、市などの出資による第三セクター・株式会社横浜スタジアムが運営管理を行っている。どんぶりを傾けたような外観と、横浜のイニシャル“Y”を模した逆三角形の6基の照明塔が特徴である。2003年からロングパイル人工芝「フィールド・ターフ」を、日本の屋外球場では初めて採用した。

落成時には日本のプロ野球本拠地球場の中で両翼・中堅までの距離が最も広い球場であったが、当時の他球場が次々と廃止もしくは改修された結果、現在では逆に最も狭い球場となっている。

管理・運用者[編集]

事業の内容[編集]

横浜スタジアム

横浜市との間の公園施設の寄附に関する契約に基づき、横浜市よりスタジアム施設の使用許可および管理許可を受けて、職業野球興行、催し物開催のための施設の運営および賃貸、物品の賃貸、広告および放映放送契約、場内売店等の経営を行ない、また、これらの観客、利用者を対象に入場券、キャラクターグッズ等の販売およびその他のサービス業務の事業活動を展開している。

沿革[編集]

  • 1929年 - 横浜公園平和野球場落成
  • 1977年2月 - 株式会社横浜スタジアム設立
  • 1978年3月 - 横浜スタジアム竣工 施設を横浜市へ寄贈すると同時に興行使用権を取得
  • 1978年3月 - 株式会社大洋球団(現:横浜DeNAベイスターズ)の専用球場となる。
  • 1979年3月 - 関連会社横浜球場商事株式会社設立 スタジアム商品、入場券等販売委託、酒類小売業経営(現・連結子会社)
  • 1984年8月 - 屋内練習場竣工 施設を横浜市へ寄贈
  • 1993年2月 - 関連会社スタジアム・エンタープライズ株式会社設立(現・連結子会社)

特徴[編集]

日本初の多目的スタジアム[編集]

横浜スタジアム

内野スタンドの前段とピッチャーズマウンドは日本で初めて可動式を採用した。野球開催時(通常時)はグラウンドの形状が扇形になっているが、アメリカンフットボールなどの試合を開催する際は一塁側・三塁側の可動スタンドを移動させてグラウンド形状を長方形に変更することが可能であった。また、マウンドは昇降式であり、野球以外のイベント開催時にはマウンドを降下させ、その上に骨組みを組み、さらに人工芝マットを敷くことでグラウンド全体を水平にすることができる。

この可動スタンドや昇降式マウンドは、いずれもプロ野球以外の興行への使用を前提に設置されており、横浜スタジアムは日本で初めて設計段階から多目的スタジアムとして造られた建築物といえる。二塁ベース後方を中心として真円形に作られたフィールドなど、アメリカで1960年代から1970年代にかけて流行したアメフト兼用球場の影響が見てとれる。この設計思想は後のドーム球場等にも取り入れられた。また、日本のプロ用野球場としては初めて、建設時から全面人工芝グラウンドと電光掲示式スコアボード、および映像表示装置を設置している。

なお可動スタンドについては、2003年シーズンより導入した「フィールド・ターフ」のメンテナンス性を考慮して移動させることがなくなっていたが、2013年よりファウルゾーンに設置されたフィールドシート(エキサイトシート)の基礎工事を施したことにより、永久的に移動が不可能となった。最後に可動スタンドが移動したのは、2001年11月23日に開催された横浜ベイスターズと横浜F・マリノスとの合同ファン感謝イベントである。

横浜スタジアム建設前には大型の競技場やコンサートホールなどが存在せず、横浜市はスポーツイベントや音楽興行の分野では立ち遅れた都市であったが、横浜スタジアムの完成がこれらの解消にも大きく寄与した。長年にわたり横浜国際女子駅伝の発着会場となったほか、Jリーグ草創期にはグラウンドに天然芝のマットを敷いてプレシーズンマッチを開催したこともある。

また、コンサート会場としても数多く利用され、国内外の多数の有名アーティストが大規模なコンサートを行なってきた。しかし、屋根がない横浜スタジアムは、天候によってイベント開催の可否が左右されやすく近隣への騒音問題もあり、また3万人収容という施設に応じた集客が難しいことから、横浜アリーナ横浜国際総合競技場(現名称:日産スタジアム)が完成した1990年代以降、野球以外でスタンドが満員になるような大きなイベントにはそれ以前よりも減少している。とはいえ、国内人気ロックバンドであるTUBEは20年以上にわたり毎年8月、横浜スタジアムでコンサートを実施しており、夏の風物詩となっているのをはじめ、そのほかの人気国内アーティストも毎年夏に1組程度野外コンサートを開催している。さらに、これに加えて2006年から横浜レゲエ祭も開催されるようになっている。

建蔽率の問題[編集]

横浜スタジアム

建物の立体的な外観は、他の野球場に見られるような垂直的なそれではなく、スタンドの上辺が広く下辺が狭い逆円錐形をしている。これは都市公園法施行令第6条1項1号で定められている、都市公園内運動施設の建蔽率規制によるもので、スタンドの下辺をもって建蔽率を計算する。スタンドのいわゆる「軒下」にあたる部分は公共の通路であり、グラウンドは広域避難場所に指定されているため、それぞれ法令上の「建築物」とはみなされず建蔽率の計算対象から除外される。法律上は建蔽率10%以下でなくてはならないとされるが、横浜市の条例はさらに厳しい7%以下という規制を定めている。そのため、スタンドの増築を伴う観客席増設や、スタンドの構造変更を伴うグラウンド面積の拡張なども、法令の改正がなされない限り事実上不可能である。

以上の理由によりダッグアウト裏やグラウンド内に場所が確保できなかったため、ブルペンは外野スタンドの下に存在する。ブルペンは目隠し用のテントと侵入防止用の鉄柵を隔てただけで横浜公園に面しているので、リリーフ投手の投球を受ける捕球音やブルペン捕手の掛け声を球場外から聞くことができる。また、ダッグアウトとブルペンの間は連絡路がなく隔絶されているため、プロ・アマ問わずリリーフ投手は試合前からブルペンで待機するか、試合中の攻守交替時にファウルグラウンドを歩いてブルペンに向かわなければならない。また、ブルペンからマウンドまでが遠いため、プロの試合における投手交代時は通常、リリーフカーを使用する。球場誕生時は日産自動車ブルーバード910型のオープンカーを使い、その後は同社のBe-1エスカルゴを経て、現在のリリーフカーはトヨタ自動車のスポーツカー・MR-Sを改造したものを使用している。

ブルペンを外野スタンド下に収める構造を採用した結果、横浜スタジアムの外野フェンスは高さがドーム球場並みの5mに達するものになった。このため、グラウンド内でバウンドした打球がフェンスを越えてエンタイトルツーベースに至ることはほとんどあり得ず、フェンスによじ登ってのフライ捕球もまず不可能である。ただし、フェンスが高いものの外野スタンドの奥行きは狭いため、プロのパワーヒッターであれば場外ホームランを打つことも可能である。また、外野フェンスからの転落はその高さのために生命にかかわる事故となる。実際、2009年8月27日開催の横浜対阪神戦において、泥酔した観客がライトスタンドからグラウンドに転落し、2日後に死亡する事故が発生している。

短所と長所[編集]

横浜スタジアム

上記で述べた通り、法規制クリアのため設計上の無理が少なからずあり、以下のようなしわ寄せが来ている。

  • 外野スタンドは傾斜が急なため、幼児・高齢者・下肢の不自由な者が観戦しづらい。ただし、外野席上段でもグラウンド面が比較的楽に見渡せるという利点もある
  • スコアボードが外野席最前列に設置されているため、外野席や内野席の一部には見づらい所や全く見えない所が存在する。
  • スコアボードに関しては、近年他のプロ野球本拠地球場では大型化、ハイビジョン対応、動画対応のサブスコアボードなどのグレードアップが行われているが、前述のように拡張工事が困難であり既存サイズ内での改修にとどまる。
  • バックスクリーンが外野フェンスのすぐ後ろ(数十cmの段差があるだけ)でフェンス最上段に黄色い識別用ラインが引かれているものの、その段差部分に飛び込んだ打球の判別に困難な時がある。2009年中日ドラゴンズトニ・ブランコがここに当たる打球を放ったが、オーバーフェンスではないという判定になった。これについては当時監督だった落合博満が「オーバーフェンスかどうかを識別しやすい構造に変えるべきだ」と報道陣にコメントしている。2010年シーズンからは段差部分に土嚢が置かれ、土嚢に当たったボールの跳ね返りでオーバーフェンスかどうかの判別をしやすいようにしている。
  • 2007年に改修されたベイブルーシートエリアを除くと、内外野とも前後の座席間隔が狭いため試合中の離席が困難である。
  • コンコースが狭いため売店やトイレが少なく、試合終了時に通路やゲートが非常に混雑する。また、スタジアムが全席禁煙化されてからは、コンコース内やスタジアム外周に張り出して設置された喫煙場所を利用する喫煙者で、コンコース中が混雑している。

他にも観客の立場から見て不都合な点も多く、必ずしも快適に観戦できる球場とは言いがたい。

  • オープン当初はスコアボード後方の通路で左右の外野スタンドを連絡していたが、トラブル防止のために通路を閉鎖し完全に分断されたため、ライト側観客席からレフト側観客席、あるいはその逆の移動はできない。
  • 両翼ポール際付近はスタンドのどの位置からも死角になりやすく、例えば一塁側内野席やライト側外野席に座ると、ライト線に打球が行った場合フェアかファウルかが判りづらい。またフェアであっても外野手の打球処理が見えない。ただし、内野席の外野側の座席をバッテリー間に向けるとこの不具合は避けられないものであり、近年のプロ用の新球場ではこの不具合よりも座席の向きを優先している球場が多い。

その一方で、以下の点は他球場と比較して有利とされる。

  • ファウルグラウンドが狭く内野スタンドのネットも撤去されたことから、観客とプレーする選手との距離が近く感じられ、臨場感が大きい。また試合の前後に、可動式スタンドの中央部から直に選手と握手したりサインを求めたりすることができる。
  • 鉄道路線が三つ(根岸線横浜市営地下鉄ブルーライン横浜高速鉄道みなとみらい線)通り、いずれも球場から徒歩5分以内の所に駅があるため、都心や横浜市内からのアクセスがよく、ナイトゲームが延長戦となった場合でも比較的安心して観戦できる。
  • 球場周辺に、横浜中華街山下公園など試合の前後に立ち寄れるような観光スポットが多くある。
  • 伊勢佐木町石川町などの繁華街が近く、球場周辺にナイター終了後も営業している飲食店が多くある。
  • 傾斜がきつい分上段席でもプレーを見やすい。かえって見晴しが良い

ゲーリッグとルースのレリーフ[編集]

横浜スタジアムには、外野レフトスタンドのポール際にベーブ・ルースのレリーフが、ライトスタンドのポール際にルー・ゲーリッグのレリーフがそれぞれ設置されている。これは、後述の通りルースやゲーリッグというメジャーリーグベースボールの歴史に名を残すスターがこの地でプレーしたことを記念するものである。

名球会入り選手のプレート設置[編集]

2006年からは、名球会入りしたホエールズ、ベイスターズの選手の名前を入れたボール模様のプレートをライト外野スタンドに設置し、その功績を称えている。配置は右中間からライトポール際に向かって、以下の通り。配置に至っては当初、外野フェンスに設置されていたが、2012年シーズンよりリボンビジョンが導入されたのに伴い、外野席上部へと移された。

売店[編集]

売店は内野スタンド2階通路と外野スタンド1階に設置されている。高校野球の時は外野席の売店は営業しない(内野席が満席の場合、外野席が開放される。この時内野席から外野席へは移動できるが外野席から内野席への移動はできない)。内野スタンド一塁側にはサーティワン アイスクリームが、三塁側にはケンタッキーフライドチキンがあり、一・三塁側双方にドミノ・ピザがワゴン形式で出店している。場内で販売されていた牛丼は以前は2000年頃までは吉野家、2001年頃からはなか卯となっていたが、現在は販売されていない。

また、スタジアム内で売られている「みかん氷」が名物となっている。かき氷の上に缶詰のみかんが乗り、その上に缶詰みかんのシロップをかけたもので、一杯350円。特に真夏のデーゲームの際には売り場に長蛇の列ができる。2009年までは1,3塁側の内野売店(2004年までは3塁側のみ)での販売であったが、2010年より外野席の売店でも販売するようになった。2007年からは1塁側のみだが、みかんの代わりに缶詰パイナップルとシロップを使った「パイナップル氷」が発売された。一杯350円。

崎陽軒シウマイ弁当の掛紙は横浜スタジアムオリジナルの物が使われている。ただし定価の750円より100円高い850円となる。関内駅にある崎陽軒売店では定価で売られているが掛紙は通常。

内野席中程の3階には2005年に既存のレストランを改修した「カフェ・ビクトリーコート」があり、店内にはホエールズおよびベイスターズの歴代のユニフォームや優勝ペナント等が飾られている。

スタンドの傾斜が激しいこともあり、長年客席での生ビールタンクサーバー売りは実施されていなかったが、2013年シーズンよりタンク売りがスタートした、1杯700円。缶ビールをカップに移し替える場合は1杯500円。

場内のビール販売員が販売しているおつまみは、ちくわと地元の美濃屋あられ製造本舗の横濱ビア柿の2種類である。いずれも税込み200円。

場内の自販機及びワゴンでペットボトル飲料の販売が行われている(他球場では、投げ込み防止の観点からペットボトルの持ち込み・販売を禁止している球場が多い)。

その他[編集]

  • 上記のような球場の特色は、観客の応援スタイルにも影響を及ぼしている。ジェット風船を使った応援は、横浜市のポイ捨て・喫煙禁止条例抵触と試合進行妨害近隣を走るJR根岸線への影響を理由に2012年まで通常時は禁止していた。なお、1995年のオールスターゲームのみ特別に許可され、チームカラーの1つである黄色い風船で埋め尽くされた。2012年にはジェット風船の代用としてシャボン玉を使用した応援が行なわれていた。しかし、2013年から「スタージェット」(球場外へ飛び出す可能性が低く、球場周辺の公園の環境面や、近くを走る電車への影響という安全面でも優れた風船)との専用の風船のみ使用可能となった。
  • 各社の放送席は、グランド側には格子があるもののガラス窓がないことため、場内の音が入りやすい。
  • 東京ヤクルトスワローズ応援団(ツバメ軍団)による「ビニール傘応援」は、座席間隔が狭いため危険として一時期禁止されていた。
  • バックスクリーンが肌色と相対色である青色であるため、投手のリリースポイントが見やすい。そのためか当球場での試合は乱打戦になる傾向がある。
  • 横浜の選手に本塁打が出ると"Good-bye Baseball!"(「入った! ホームラン!」の意)のアナウンスとともに、船の汽笛が鳴り響く。
  • 横浜の選手がヒットを打つとリボンビジョンにJR東日本の広告が表示されて成田エクスプレスのアニメーションが流れ、三振を決めるとスーパーこまちのアニメーションが流れる。
  • かつてグラウンドにカモメやカラスやネコが入り込んで試合が中断したことがある。また、雨が降った時に外野グラウンドにカエルが入り込んできたこともあった。
  • 3塁側内野スタンドの1階部分には剣道場(剣道横浜公武館)が入居している。
  • 1980年代まではファウルポールに広告が掲載されていた他、内野席の椅子の背もたれにも広告ステッカーが貼られていた。
  • 当日券の販売が有る場合には、各種指定席および自由席を時間差をつけて販売している。従って、各種チケットの販売開始時間が場内アナウンスで事前に知らされる。
  • 2000年代では相手チームが勝利した時のヒーローインタビューを行うことが多かったが、セリーグの本拠地では明治神宮野球場(神宮球場)を除き滅多に見られない光景となっている(他球場でも試合中継しているメディア向けに行われているが、球場内のスピーカーからは流さないようになっている場合が多い)。2012年シーズンも当初は流さなくなった(逆にナゴヤドームは2012年から流すようになった)。
  • 2010年の横浜ベイスターズの球団売却交渉の際に、球場使用料や広告・物販収入が横浜ベイスターズに入らないなどの契約内容が球団の経営を圧迫していると問題になった。2012年、DeNAの春田オーナーと鶴岡球場社長の会談で、7年の長期契約と使用料が13%の引き下げ、新規広告や場外に設置される常設店舗の収入が、球団に入るという契約が交わされた。
  • 2013年から外野席全てが指定席となる。
  • 2013年からビジターチームの7回表の攻撃前にビジターチームの球団歌を流すようになる。
  • 2013年から横浜DeNA攻撃時は男性が場内放送を担当するようになる。

球場の歴史[編集]

建設に至る経緯[編集]

横浜スタジアムが建設される前、この地には1929年に落成した横浜公園平和野球場(通称:平和球場)が存在した。この平和球場は、戦前にはのちの日米野球の前身となる米大リーグ選抜対日本代表の親善試合が行われ、ベーブ・ルースルー・ゲーリッグといった当時のスター選手が訪れてプレーをしている。しかし太平洋戦争後、アメリカ軍による接収を経て横浜市に返還された後は老朽化が進行し、1970年代初頭にはスタンドが半分近く使用不可能な状況であった。

時を同じくして、当時神奈川県を保護地域としていた大洋ホエールズは、本拠地である川崎球場の集客力に限界を感じており、県内で最も知名度の高い都市である横浜市への移転を目論んでいた。そこで大洋球団は1972年11月22日、横浜市に対し「横浜平和球場が改築した折には、本拠地を川崎から移転したい」と申し入れを行い、当時横浜市長だった飛鳥田一雄の同意を得て覚書を取り交わした。

新球場建設[編集]

飛鳥田市長は、大洋の移転意思もあって新球場建設にはやぶさかでなかったが、折からの第一次オイルショックを受け横浜市の財政も逼迫しており、市が単独で建設の予算を捻出することは到底不可能な状況だった。また、当時はみなとみらい21地区の造成もまだ構想段階であったうえ、市内には随所に返還の目処が立たない米軍接収地も点在しており、横浜公園以外で同等の交通アクセスを確保できるような土地はなかった。従って、必然的に球場の建設イコール平和球場の建て替え、という図式へ流れていったが、平和球場を解体してプロ野球も開催可能な規模の球場を建設するには、公園内建築物の建ぺい率制限や、所管官庁である建設省との折衝、さらに神奈川県立武道館等、球場建設によって移転を迫られる横浜公園内施設の代替地問題など、資金面以外にもさまざまなハードルがあった。中でも、横浜公園内の米軍横浜チャペルセンターの立ち退きに際しては、日本政府のほかに米軍当局との調整も必要であった。

着工へ[編集]

しかし、飛鳥田市長の斡旋により西武グループの総帥である堤義明国土計画社長が大洋球団の株式の一部保有(約45%)と建設資金3億円の融資を表明すると、建て替えの機運は急加速をはじめる。やがて飛鳥田らの奔走により資金以外の問題は順次クリアされ、堤による支援のほか市民からの株主も募り、1977年ついに第三セクター法人の運営会社「株式会社横浜スタジアム」が設立される。そして1977年4月1日、市の建替え計画に対し大蔵省の許可が下り、球場の建設が開始された。

通常、この規模の建築物であれば2年前後の工期がかかるが、横浜スタジアムは翌年のプロ野球開幕に間に合わせるため、平和球場の解体を含めて1年程度の非常に短い工期が組まれることとなる。このため着工当初は7社程度のゼネコンによる共同企業体であったが、工期の関係上最終的には11社に及ぶゼネコンが結集し、超突貫体制で建築作業が行われた。法律上、公有地に企業が運営する施設を設置することができないため、建設は横浜スタジアム社が行った上で、一旦横浜市に施設を無償譲渡する形を執り、運営を横浜スタジアム社が行うという形が取られた。なお平和球場解体の際、スコアボードは藤沢市八部野球場に移設され、その後10年ほど使われていた。

この間、大洋球団は6月15日、横浜移転を前提として検討を進めている旨を発表。そして8月20日、翌1978年から横浜スタジアムを専用球場とすることを川崎市に正式に通達した。しかし、大洋側がそれまで川崎市側に対して配慮を行わず、突然一方的に移転を伝えられたことで川崎市は猛反発し、市内では「エントツだけのまちにしないで。」とキャッチフレーズを銘打って移転反対を唱えるキャンペーンが行われ、当時の市の人口の約半分に当たる54万人分の署名を集める事態となった。

落成[編集]

建設工事は工期どおり無事に終了し、1978年3月31日、晴れて横浜スタジアムは完成。同年4月4日にこけら落しとなる横浜大洋ホエールズ(移転により改称)対読売ジャイアンツの公式第1回戦が行われ、前年新人王の斉藤明雄の力投により地元大洋が4-1で勝利して花を添えた。この試合の始球式は、前市長として建設に尽力した飛鳥田一雄(この時の地位は日本社会党委員長)が行っている。

ロッテ共用問題[編集]

横浜スタジアムの着工が正式に決定した頃、パシフィック・リーグロッテオリオンズは大洋に対し「横浜スタジアムをロッテも本拠地として共用し、年間40試合前後の公式戦を開催したい」と申し入れを行った。

ロッテは1972年オフに東京スタジアムが閉鎖され、翌1973年から宮城県仙台市宮城球場(現:東北楽天ゴールデンイーグルス本拠地、2014年より「楽天koboスタジアム宮城」)を暫定本拠地としていた。しかし東北新幹線は未開通で、航空機も現在ほど気軽に利用できる交通手段ではなかった時代であり、6球団中4球団(南海ホークス近鉄バファローズ阪急ブレーブスクラウンライターライオンズ)が西日本に本拠を置き、さらに各球団とも現在とは比較にならないほど観客動員数の低かった当時のパ・リーグではカード毎の長距離移動はロッテ、ビジターともに選手の肉体面や球団の経営上大きな負担であった(ジプシー・ロッテも参照)。それゆえ、横浜スタジアムの建設はロッテにとってまさに渡りに舟と言える機会であった。

これに対し、横浜スタジアムの単独使用を前提としていた大洋は共用によって日程上の制約を受けることを嫌ってロッテの申し入れに難色を示した。このとき大洋は既に川崎市に対し正式な移転通告をしていたため、プロ野球興行がもたらす経済効果を得たい横浜市とそれを喪失したくない川崎市、全国2位の人口を抱える横浜で集客を伸ばしたい大洋、ロッテ両球団、以上4者の思惑が交錯し、マスコミ等世間も注目するなかで竣工間近まで交渉が続いた。だが、すでに神奈川県における地域保護権を持つ大洋の優位は最後まで覆らず、ロッテの神奈川県への保護地域移転は認められたものの、横浜スタジアムは当初の予定通り大洋の専用球場となり、ロッテは川崎球場に落ち着くこととなった。

本拠地問題が収束した後も、大洋が横浜移転発表前後に配慮を行わず紛糾を呼んだ経緯などから川崎市と大洋は半ば絶縁状態となった。このため、川崎球場での大洋の主催公式戦は横浜に移転した1978年に2試合行われたが、翌1979年から1992年までは一試合も組まれず、「横浜ベイスターズ」となった1993年8月6日に大洋時代を含め15年ぶりに主催公式戦(対阪神タイガース戦)が組まれたものの雨天中止となり、これ以降も横浜の主催公式戦は一試合も行われることなく、2000年に川崎球場の観客席は解体された。

建設後の主な改修[編集]

横浜スタジアムは、完成後現在に至るまでの間に多くの改装を受けている。

  • 1978年 シーズン途中、ダッグアウト前にフェンスを設置。
  • 1989年 スコアボード大規模改修(2代目)。選手名・得点表示部は、選手名・回数ごとに分割して表示部が設けられていたが、全面連結表示になり、光源も電球からLED(発光ダイオード)となった。また、映像表示部は動画も橙単色で写していたが、フルカラーブラウン管式のものに改められた。
  • 1998年 内野人工芝張替え。
  • 1999年 スコアボード大規模改修(3代目)。選手名・得点表示部分を橙単色LEDから3色(赤・緑・橙)LEDに変更。映像表示部も解像度の高いフルカラーLED画面(東芝ライテック製:スーパーカラービジョン)に交換。外野席をベンチシートから背もたれ付コンパートメントシートに換装。全席禁煙化。また、開場以来のメインスポンサーであった日産自動車が経営不振により撤退し、トヨタ自動車が日産に替わってその座に着いた。その影響で、スコアボード上端の広告が日産からトヨタに改められている。
  • 2001年 外野人工芝張替え。リリーフカーも開場以来の日産車(最後は日産・エスカルゴの改造車)からトヨタMR-Sの改造車に変更。
  • 2002年 ベイスターズの親会社がTBSになったことに伴い、スコアボード左右下端のスピーカー部分にTBSの広告を掲示。2010年まではTBS関係の掲示であったが、2011年よりJ-COMの掲示へと変更された。
  • 2003年 内外野人工芝を、限りなく天然芝に近い感触とされる「フィールド・ターフ」に総張り替え。これを機に、メジャーリーグ球場やサッカー競技場等の天然芝に似せたストライプ状着色が施された。これにより内野(1・3塁側)にある可動式座席は事実上ダイヤモンド型(バックネットから見て逆台形)に固定されることになった。
  • 2005年 内野スタンドから、バックネット以外のフェンスを撤去。また、開設時からライトスタンド中段に設置された電子オルガンブースも撤去。これによりライトスタンドの席数が若干増えた。そのほか、レストランやトイレ等、コンコース内の施設を改修した。
  • 2006年 外野フェンスラバークッションの高さをフェンス上端までかさ上げし、クッション厚も変更。ブルペンのマウンド数を一塁側・三塁側とも2箇所から3箇所へ増設。バックネットに広告表示用のLED画面(ファンケル化粧品協賛の広告を掲示)を設置。
  • 2007年 バックネット裏の座席を従来のオレンジ色のシートからベイスターズのチームカラーでもあるブルーのシートに変更。シートも跳ね上げ式になり、座席幅・間隔も10cm近く拡張される。その分座席数は2,000ほど削減されることになった。削減分は内野席最上段に立ち見スペースを設けることで、30,000人の収容能力を維持している。また、従来はスコアボード下のみにあったスピーカー設備を内野照明灯(4カ所8個)下にも設置した。
  • 2010年 スコアボード・サブスコアボード改修。カウントのSBO表示をBSO表示に変更(後述)。
  • 2011年 フィールドターフを内外野総張り替え(着色等の意匠は変更なし)。新シート設置。
  • 2012年 飲食店、ロッカールームを改装し、球場外に球団グッズ店を建設。外野フェンス上部にリボンビジョン導入。
  • 2013年 座席を改修。ファウルゾーンにせり出す形で「エキサイティング・シート」(178席×2 なお、1塁側<横浜DeNA側>についてはセブンイレブンジャパンと命名権を締結し「セブンイレブンエキサイティングシート」と銘打たれている)、内野席を改修してツインシート、トリプルシートを合わせて512席、ボックスシートを336席設置する。エキサイティングシートの料金は8000円前後を予定している。バックネット裏グラウンドレベルにも個室観戦ルーム「YOKOHAM BAY LOUNGE」5室を設置し、これに伴い従来存在していた記者席・放送席をバックネット裏後スタンド最上段に移転させた。

スコアボードの改修[編集]

初代スコアボード(1986年)
2代目スコアボードの延長戦のスコア表記
3代目スコアボード(2008年)
4代目スコアボード(2013年)

スコアボードは電球を使用していた初代(1988年まで)のレイアウトは川崎球場に似たタイプで、左上がスコア、右上が映像表示部(橙単色)、左右下をメンバー表示にあて、中心に大時計・カウント・審判名を表示した。最上部は左に「YOKOHAMA」、右に「STADIUM」の表記が入る。なお得点は1回-延長10回までのスコアを表示し、11回からは改めて表示をクリアして1回のところから表示し直す方式だった。

1989年の改修で橙単色LEDが使用された2代目は、延長戦の場合はそれが行われるイニング分左にスライドしていく形(例えば延長10回が行われる場合、1回のスコアが消去され2回~10回のスコアが表示される)だった。スコア上部には試合の経過時間(2008年以後、スピードアップ作戦のための奨励〔イニングス交代は2分15秒、投手交代を伴うものは2分45秒以内に再開させる〕により、インターバル時間も表示)が出されている。

1999年の改修でカラー化された3代目は再び10回まで表示され、11回以後は改めて表示をクリアし、対戦チームの横に10回までのスコア、そしてその右隣に11回~18回のスコアを表示できるようにしている。2010年には球審のカウントコールの順番が変更された(国際慣習準拠)のに伴い、ボールカウント表示をストライク、ボール→ボール、ストライクの順に変更。日本のプロ野球本拠地では初である。

2012年シーズン終了後にスコアボードを全面映像表示式(4代目、メーカーは未公表だがソニービジネスソリューションがシステムソリューションを担当)へ改修。大時計・カウントは下部広告部両端に移動し、ビジョンは国内の野球場のものとしては最も細かくなる15.88mmピッチの映像素子を使用する。これまでは縦書き・横スクロールだったメンバー表示が両サイドの横書き・縦スクロールになり、スコア表示は中央下部(基本9回まで。延長の場合はプロの場合は10回の横に追加して12回まで書き込むが、アマチュアは改めて1回の箇所から書き直し)に移動となった。またプロ野球開催時の表示の背景色がチームカラーのマリンブルーとなった。メンバーの横に球団マークの一部を表示している。

過去に起きた新球場建設の動き[編集]

近年は横浜スタジアムに替わる新球場建設の動きも見られた。

新鶴見操車場跡地の利用[編集]

1990年代の初めには近郊の新鶴見操車場跡に新球場を建設することを目指し入札手続の準備を進めたが、入札に参加しなかったためそれが頓挫したこともあったといわれている。

横浜ドーム構想[編集]

横浜ベイスターズ(横浜大洋ホエールズ)が、この球場を本拠地としてから初めて本格的な優勝争いに加わった1997年から優勝した1998年にかけて、横浜スタジアムの来場者数は劇的に増加した。特に1998年はゴールデンウィーク以降、どの対戦カードも公式発表で2万人を超える入場があり、当日券発売なしの試合も珍しくなかった。このため、チケットを買いそびれたファンからは横浜スタジアムの収容観客数の少なさが叫ばれ、入場できたファンからも施設内の狭さに対する不満が続出した。これに乗じた高秀秀信横浜市長(当時)は、みなとみらい21地区に多目的ドームを前提とした新球場建設を提案し、横浜商工会議所等の地元経済団体も呼応する動きを見られた。

しかし、大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)など他都市で多目的ドームの経営失敗例が生じたことや、横浜アリーナ等の既存施設と使用目的が競合することなどから、それ以上の具体的な進展は見られなかった。それに加え、2000年代に入るとベイスターズの成績がふたたび低迷し観客数も減少。さらに2002年、主唱者であった高秀が市長選に敗れて退陣し、新市長に就任した中田宏によって横浜市が不要不急な公共事業を凍結する政策に転換したこともあり、新球場構想はたちまち頓挫した。

その後、高秀の構想によって新球場建設予定地と目されていた西区みなとみらい6丁目の広大な空き地は、日産自動車との定期借地によりJリーグ横浜F・マリノスの練習場・クラブハウス(マリノスタウン)、ならびに横浜市の横浜みなとみらいスポーツパーク(管理・運営は(財)横浜市スポーツ振興事業団)となった。

2011年2月、横浜ベイスターズ売却問題をきっかけに「横浜ドームを実現する会」が再編された。経済界から300社近くの賛同が得られているとされる。2012年秋をめどに運営会社を設立する方針。

交通機関[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前本拠地
1955 - 1977
1978 - 現在
次本拠地
-

テンプレート:日本プロ野球の本拠地野球場